「The Top Of Tops(トップの中のトップ)」
芸歴24年目となる轟は、宝塚歌劇団の関係者やファンにこう呼ばれている。→rakuten ranking
「花」「月」「星」「雪」「宙(そら)」の5組と、芸が秀でた役者が属する「専科」からなる歌劇団。現在約450人が所属する中で、轟は舞台に立てば各組の主演男役を押さえて常に主役を演じ、舞台を離れても理事として歌劇団の運営にかかわっている。それが「トップの中のトップ」と呼ばれるゆえんだった。
「呼ばれるからにはそういう存在でいないといけないと思っています」
その轟でさえ緊張した舞台がある。平成16年の元日、宝塚大劇場(宝塚市)で行われた祝典舞踊「飛翔無限」だ。
大正2年に創設され、翌3年に初舞台が行われた歌劇団はこの日、90周年の幕を開けた。「タカラヅカの至宝」と呼ばれる歌劇団名誉理事の春日野八千代と、同理事の松本悠里とともに轟は日本舞踊を披露した。
「飛翔無限を開演いたします」と轟が宣言し、幕が上がる。春日野が1人で舞い、入れ替わるように轟と松本が登場。フィナーレは3人そろって演じたのだが、そこは、選ばれた者しか立てない舞台だった。
竹をあしらった豪華絢爛(けんらん)な着物に扇子姿。左右に約30人の男役と娘役が控え、中央には春日野がいる。体がこわばるのを感じたが、背筋を伸ばし、凛(りん)として舞い続けた。
「特別な経験でしたね。お客さまにも緊張感があって、普段とは全く違った空気が流れていました」
轟はこの年、大きな意味を持つ舞台をもうひとつ迎えている。9月に日生劇場(東京都)で開幕した記念公演「花供養」だ。
《「花供養」は昭和59年に初演された。江戸時代初期、徳川幕府の圧政に苦悩する天皇家の人々の愛を描いた作品。歌もダンスもなく、歌劇の中では異質な作品として知られていた》
初演当時、主役の後水尾天皇を演じたのは春日野。轟はその役を引き継ぐ形で再演を任された。歌劇団100周年を見越して課された試練だった。
轟は春日野に何度も助言を求めた。春日野もそれに応え、稽古(けいこ)場に熱心に足を運び、威厳が出せるような立ち姿や目線、指先の動きに至るまでを事細かに教えてくれた。
ある日の稽古中、春日野がふと、「これからの宝塚をあなたに託すからね」とつぶやいた。轟は一瞬何を言われたか分からなかったが、やや間を置いて「分かりました」と伝えた。
「冗談のような言われ方でしたが、簡単に受け流すには重すぎる言葉でした」
「至宝」とされ、誰からも尊敬の眼差(まなざ)しを向けられる春日野と比べれば、芸歴が3分の1にも満たない轟はまだ子供のような存在だろう。その轟に、春日野は次代のバトンを託した。轟はいまも、春日野の言葉を思い返すたびに身が引き締まる思いを感じている。
宝塚歌劇団理事・轟悠の人生と素顔を11回に渡って紹介する。(敬称略)
■轟悠(とどろき・ゆう)
熊本県人吉市出身。昭和58年、宝塚音楽学校に入学。71期生。同60年3月に宝塚歌劇団に入団し、月組所属後の同63年7月から雪組に。平成9年9月、雪組主演男役に就任。14年2月に専科へ移籍し、15年6月から歌劇団理事を務める。趣味は絵画。
(以上「イザ!」9/28 より引用)
宝塚歌劇団専科で活躍している轟悠さん。
轟悠さん出演の公演を観るといつも思うのですが、轟悠さんの演技で舞台が引き締まり、「さすがだなあ〜」と感じます。
これからも頑張ってほしいです。





